卯野です。泣いてる。今これ書くために3回め開いたけどその都度泣くよ。なんだこれ。
今年に家族の死を迎えたばかりなのでかなり主観的に読んでしまった感はある。
「出会うべきときに本に出会う」ってのを久々に感じた1冊でした。
以下コミックス内容への言及を含みますのでご注意ください。ざくっとあらすじ
主人公は主に3人。妻帯して在家の寺の存続を守るか、戒律に従い生涯独身を貫くかで悩む跡取り坊主、清玄(せいげん:6巻右側)。清玄の同級生で自ら仏門に入った清徹(せいてつ:6巻左)。清玄のもとへお見合い相手として訪れるが、自らの妬みや恨みの心に悩まされ仏門へ興味を示す節子(せつこ)。
清徹の病に始まり、それぞれの生老病苦をどう受けとめ、受け入れていくかの物語。
感想
心に残ったシーン、言葉を箇条書きで。
・生老病苦で人と成る
この身を裂くような苦しみをどうすれば・・・清玄が清徹の通夜の読経へとむかうにあたり心が定まらず、祖父の峰博へ訪ねるシーン。
そして清玄は檀家ほか弔問客に向けて「生老病苦で人と成る」と話す。
人が逃れることのできないものに生、病、老、苦があるとして、人はその4つを経ながら人になり、愛する人に先立たれ人となり、そして自らの死を迎えて人となる。
家族の死を迎えたばかりの私にとっては苦しみを追体験し、またそれを救われるシーン&言葉でもあった。
・石が生み出す「波紋」をどう受けとめるか
峰博じいちゃん(ボケちゃう)の亡くなる間際のシーン。
人と関わること、またその生き死には個人の心に向かって投げ込まれる石のようなもので、石が生み出す波紋があるだけ「とても豊かじゃ」と峰博おじいちゃん。
人は皆生きて亡くなる。その事実から耳目をふさぐのではなく、石の波紋を受けて自分の僧形がどう形作られるか。
うん、これからちょっとだけ受け入れやすくなるかも。
・掲載誌休刊とは関係なく6巻できれいにまとまったラスト
連載してた「ジャンプ改」が休刊になったけど多分それは影響なく、最初から構想通りのプロット進行だったかと思う。清徹の死がテーマの中心で5巻ラストでもう死が決定してたので、むしろ6巻内できっちり綺麗にまとめててすごい、と思った。
・人間描写、仏教、ともにすべてを描ききってはいない
の割に6巻後半ちょっと駆け足な印象を受けたのは清玄のお母さん(とお父さんの関係)、節子がどう自分の中の妬みそねみを克服して前を向くかが1話ずつコンパクトにまとめられたからかな〜。
仏教の考え方について気になる人はぐぐったり他のもうちょっと入り込んだ入門書を手にとってみてね。「宗教」と考えずに、セルフセラピーみたいな感じで触れてもいいと思います。
小池龍之介さんのほうが読みやすいかな。
・ラストせつねぇえええええええええええええええええ
ラストの終わり方は「天晴!!!!!!」「ええええええええこの終わり方かよおおおああああああああ」の2つの思いが入り混じってます。
無常ナリ。
総括
生きること死ぬことについて、説教くさくなく楽しみながら考えられる良いマンガでした。ちょっと今苦しいかな、とか、自分の中の波紋を振り返りたい人にはオススメです。
参考リンク
とても参考になりましたm(_ _)m↓↓
朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』第6巻(完結)について|ぶり返したオタク
5巻についての感想はこちら
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